NANAをゼロ年代の自分探しの物語として読む

ふと思い立ってこの週末、『NANA』全巻を読み返した。

 

2017年に読む『NANA』は、世界観が相当古い感じが否めなかった。

(すなわち、1巻からリアルタイムで追いかけてきた自分自身が、すっかり古びたということにもなるけれど。)

 

あの子たちが現代にいたとしたら、もう少し気楽な感じだったのではないかな。

 

今や、夢を持たないことは恥ずかしいことではない。専業主婦になって家庭を守ることも一つの価値ある選択肢だ。だから、ハチはあんなに「空っぽ」であることに苦しまなくてもよかったのではないか。

 

今や、日本の音楽シーンでヒットチャートを出すことだけが栄光ではない。むしろ、レンはナナと地元に残って、動画でも発信して世界中に届かせることのほうが「クール」だったのではないか。

 

改めて読んで感じたのはゼロ年代の濃い空気感である。

世紀末は無事に過ぎ、さて、未来は真っ白だけどどうしたものか。

「自分探し」ブームの真っただ中、みんなが「何者か」にならないといけなかった時代。

 

『NANA』の舞台設定は2001年、「男女雇用機会均等法施行(86年)」から15年後、女性が社会に出ることの結論もまだ見えていないころだったと思われる。

男性と肩を並べてバリバリ働くキャリアウーマンのパイオニアたちが育児と仕事を両立できるかどうか、暗中模索していた時代。

 

そのようなムードの中で、特に女性たちにとっては、「幸せな結婚=幸せな人生」という旧世代の価値観を払拭しきれないまま、あるかどうかもわからない「自分」の幻想を追いかけないといけないプレッシャーで、おしつぶされそうだったのではないだろうか。

 

ちょっとそこまでは考えすぎか。

 

いずれにせよ、久々に読んで感じた、登場人物たちの考え方に対する「古い」という印象は、時代が良くなっている証左だと思いたい。

 

何かと「ゆるく生きよう」と提言される現代は、何かと「世の中は暗いけれど、夢に向かって前向きにがんばろう」と背中を押されていたゼロ年代に比べて、生きやすくて心地よいのではないか。

 

『NANA』に話を戻して。巻が進むにつれて後日談がカットインされるのだけど「その頃」にはみんな、時代の価値観の呪縛から解けて幸せになっているといいなぁと、単純に思ったのです。

 

(でも、よくよく読み返すとハチは着付けで稼げるようになっていて、なんだかんだで家庭と仕事をいちばん両立させている。ハチは考え無しだけど、妊娠と同時に「やるべき事」が定まったから、その後の人生が早めに確立できたのかなぁと思ったり。)

 

色々書いたけど、ゼロ年代に青春真っ盛りだった私にとって、やっぱり『NANA』は名作です。